浦和地方裁判所 昭和39年(ワ)137号 判決 1967年2月28日
原告 永井慎一郎 外四名
被告 日本電信電話公社
訴訟代理人 島村芳見 外四名
主文
被告は、原告永井慎一郎に対し、金七五万円、同永井康雄、同永井英子、同永井久善、同永井敦子に対し各金二〇万円および右各金員に対する昭和三七年八月一二日より支払済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。
原告等のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一、請求原因第一項の事実すなわち本件事故の発生については当事者間に争いがない。
二、被告の責任(一)本件電話線は被告の所有占有するものであること、これが、当時道路上に低く下垂していたものであり、そのため本件事故を生じたものであることは当事者間に争いがない。そうして、右電話線の状態がいわゆる保存の瑕疵に当ることは疑ない。けだし瑕疵とはそのものが本来の状態を欠いていることであり、純粋に客観的に観るべきものであつて、その状態が如何なる原因から招来されたかを問わないからである。したがつてこの点に関する被告の主張は同調できない。
(二) 本件事故は不可抗力によつて発生したものであるとの被告の主張について判断する。
仮に被告主張の次第で、本件の如き瑕疵を防止することが技術的、社会経済的に不可能であるとすれば、まさに不可抗力の一種に属するものと考えるのが、素直な見方であるというべきである。しからば、この不可抗力の抗弁を許すべきであろうか。現代は「危険がいつぱい」の時代である。企業は必然的に危険を包蔵しながら維持されざるを得ない。したがつて、この危険による被害もまた必然的に巨多を加えつつある。この被害に手を差しのべないことが公平というべきであろうか。企業は維持しつつ、他方これによる損害を救済すべきことが、企業における信義則の観念にかなうというべきではあるまいか。すなわち、被害を止むなしとして、泣き寝入りせしむべきはないと考うべきである。この立場から観ればかような不可抗力の抗弁はこれを許さずと解するのを相当とする。
三、損害
(一) 葬儀費用
<証拠省略>の結果によれば、同人は世津子の葬儀を主宰し、その費用として原告主張のとおり合計金八万二八〇円の支出を余儀なくされ、同額の損害を受けたことが認められる。
(過失相殺)
ところで<証拠省略>によれば本件事故現場付近は見通しも十分で交通量も少なかつたことが認められ、<証拠省略>によれば世津子の視力は普通程度のものであつたことが認められ、このような事情のもとにおいて同人が通常の注意をもつてすれば進行方向前方に電話線が垂れ下つていてそのまま進行するときは自己の身体に接触するおそれがあることを発見し、直ちに事故の発生を未然に防止すべくこれを避けて徐行する等の適宜の処置をとることが十分可能であつたものと推認される。現に<証拠省略>によれば、同人は本件事故直前自転車に乗り進行、三メートル手前で電話線の垂れ下つていることに気ずきこれをくぐり抜けて通つたこと、世津子のオートバイの速度も速いものでなかつたことが認められるから、本件事故の発生につき同人の過失もその原因をなしたものといわなければならない。従つて右世津子の過失を斟酌して本件事故によつて原告慎一郎に生じた前記財産的損害につき被告が賠償すべき額は金五万円をもつて相当とする。
(二) 慰籍料
原告等が世津子とその主張の身分関係にあることは当事者間に争いのないところであり、原告本人尋問の結果によれば原告は現住所において氷販売を業とする有限会社津久井商店の代表取締役としてその営業をなしていたものであり、世津子は夫慎一郎の右業務を助け、主に氷の仕入、販売の記帳、得意先よりの受注、配達、集金等にたずさわり、夫の営業に多大の寄与をなしてきたこと、又一方、家事一般労働にも従事してきたものであることが認められ、右のほか、前記認定の同人の過失、その他本件事故の態様その他諸般の事情を総合して考慮するとき、原告慎一郎に対する慰籍料は金七〇万円、その余の原告らに対する慰籍料は各金二〇万円が相当であると認められる。
四、よつて原告等の請求中、原告慎一郎の金七五万円、その余の原告らの各金二〇万円、および右各金額に対する昭和三七年八月一二日より各支払済にいたるまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分はいずれも理由があるからこれを認容し、その余の部分は理由がないからいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条但書を適用し、なお仮執行の宣言は相当でないからこれを付さないこととし主文のとおり判決する。
(裁判官 長浜勇吉 赤塔政夫 白石寿美江)